武富士の倒産は計画的?倒産の理由や現在の状況・過払い金

 

2000年代の貸金業で一番の大手だった武富士。

 

貸金業法が改正される頃には、会社の経営方針が現在でいうところのブラック企業顔負けの状態で、会長一族による所業も相まって今では悪名高い貸金業者の代表です。

 

かなり勢いのあった会社だったので、何かしらないけれど名前を聞いたことはある。という方も多いでしょう。

 

全盛期の経常利益2000億円以上といわれた武富士ですが、今は影も形もありません。

 

というのも、武富士は2010年9月に経営破綻、倒産したからです。

 

現在20代後半のサイト管理者が物心つく頃くらいまでは、まだ武富士の看板やCMは健在だったと思います。

 

武富士が倒産した理由とは?ブラック企業とはまさに武富士のこと!?

 

なぜそこまで利益が出ていた貸金業者が倒産してしまったのか不思議に思う事でしょう。

 

各いうサイト管理者も「そういえば昔、武富士っていう貸金もアコムやアイフルと並んであったよな…どこいったんだ?」と思った一人です。

 

近所のパチンコ屋の駐車場の一角に武右富士の自動契約機があり、そこに祖母が吸い込まれる姿を幼いころに見た記憶があります。

 

武富士が倒産した理由はかなり様々な要因が重なっていますが、大きくは貸金業法が改正された事と、過払い返還請求がかなりあった事といえるでしょう。

 

さらに細かく倒産の原因を上げると、以下の通りです。

 

武富士倒産の理由
  • 高ノルマ・パワハラ・逸脱した業務など破たんした経営方針
  • 返済能力のない顧客への過剰貸付
  • 強盗殺人・放火事件の発生

 

武富士が最大手であった裏には、現代のブラック企業も真っ青な前会長の武井保雄氏をはじめとして、会長一族による支配的な経営方針がありました。

 

社員は達成の難しい高すぎるノルマを課さられた挙句、達成できなければ上司や会長子息による激しい叱責がされ、自腹でノルマを埋める事もあったそうです。

 

特に、会長子息の次男である武井健晃氏による「バキ」という名のパワハラや叱責がかなり当時は問題視されました。

 

「バキ」とは罵声と叱責を合体させた当時の社員たちの間で出来た言葉だそうです。

 

かなり武井健晃氏による「バキ」はすさまじかったようで、今でもYoutubeに隠し撮りされた実際の音声が残っています。

 

その様に、高いノルマと高圧的な経営方針により追い詰められた社員たちは、顧客の信用情報や収入データを改ざんし無理な貸付を行い難を逃れようとしました。

 

結果、借りても返す当てのない顧客を抱えることになり、武富士という会社自体も社員の労働状態の首も絞める事になったといえるでしょう。

 

その後、青森県弘前市の武富士の支店で、顧客による強盗殺人・放火事件が起きてしまいます。

 

犯人の動機は、ギャンブルによる借金で首が回らなくなって、貸金から借りた200万円を知人に貸したものの返済されず困って、などまちまちなようで今となってはよく分かりません。

 

しかし、その事件により武富士の支店で5人の死者が出てしまったのです。

 

その際に、支店長が犯人に金銭を渡さなかった事が、武富士の逸脱したノルマ制度が社会的に注目されるきっかけになったとも言われています。

 

法改正以前の貸金業者は武富士だけでなく、全体的に現代とは異なり高利で貸すことが当たり前になっていたので、時代の流れによる倒産は致し方ないでしょう。

 

ところが、武富士の場合は上記のような悪質な経営方針やそれが招いた悲劇なども相まって、倒産したともいえそうです。

 

法改正前から同じように営業していたアコムやアイフルは過払い金返還請求に応じながら、今でも大手消費者金融として営業しています。

 

武富士がそうならなったのは、やはり上述したような自業自得ともいうべき汚点があったからでしょう。

 

2006年の貸金業法改正が武富士に与えた影響

 

武富士が最大手であった為一番注目されましたが、当時は自己破産者や多重債務者が社会問題になるほど、世間的にも貸金業は混迷状態でした。

 

そこで2006年に貸金業法が改正され、グレーゾーン金利の撤廃と総量規制による貸付制限がされたのです。

 

法改正前は、出資法と利息制限法の上限金利の設定が異なっており、その穴を付くようなグレーゾーン金利を顧客に適用していた貸金業者が武富士以外にもいました。

 

そのグレーゾーン金利分の返還を求める過払い請求が最近まで話題となっていました。

 

過払い金請求は最終の返済回から10年までの間に認められていたので、ほとんどが2016年〜2017年までに請求の締め切りを迎えています。

 

また、今でこそ消費者金融からの借入では定番の総量規制も、法改正で加わった法律です。

 

貸金業者は総量規制により、現在は顧客の年収の3分の1までの融資しか出来ないようになっています。

 

つまり、武富士などの貸金業者からすると、掛けられる金利も融資できる金額も減ってしまったわけです。

 

加えて、その頃の武富士といえばイメージが最悪ですから、あえてそんな業者から借りる消費者はほとんどいなかったことでしょう。

 

そして、得られる利益が減ったうえで、今まで不当に搾取した利息分を顧客に返還していかなくてはいけなくなった果てに、武富士は倒産したのです。

 

武富士へ過払い請求可能?返ってくる金額は?

 

過払い金とは、貸金業法が改正される前、借り入れ側が貸金業者に払い過ぎていた利息のことです。

 

現在はその過払い金を取り戻すための、過払い金返還請求が当時の債務者の権利として認められています。

 

ただし、倒産した貸金業者への過払い請求は出来ません。

 

武富士は2010年9月28日に東京地方裁判所に会社更生法を申請し、受理されています。

 

倒産する前までの過払い請求分は、武富士の後続であるTFK株式会社が対応しました。

 

しかし、返還率はかなり低く、既に請求している方でも利息がいくらも戻ってこなかった様です。

 

最終の返還率は0.3%とかなり微々たるもので、恐らく過払い請求費用の方が高く付いたような人もいたでしょう。

 

後続のTFK株式会社も2017年3月17日に解散し、完全に武富士は消えてしまいました。

 

今では、TFK株式会社のスポンサー会社であったJトラストが、日本保証と会社名を変更し残っているだけです。

 

武富士は計画倒産だった?経営陣達はどうなった?

 

武富士の倒産時の負債は5,000億程といわれており、それだけを聞くと倒産して当たり前だと思います。

 

ところが、2006年に亡くなった前会長の武富士保雄氏の私財約1600億円の海外資産が、長男の武井俊樹氏に贈与されたことがさらに波紋をうみました。

 

払い過ぎた利息分を十分に返還されなかった債権者たちが、その長男が受け取った私財を返還にまわすべき!と裁判まで起こしたのです。

 

結果的に、長男の武井俊樹氏が裁判に勝ったため、それ以上の返還がされる事もなく、氏もその後の消息を絶っています。

 

その様に、ある程度一族が私財を保持した状態で倒産した為、武富士の倒産は計画的に行われたのではないか?という声が少なくないです。

 

時に、武富士がまだ営業している頃に猛威を振るっていた次男の武井健晃氏も、2013年の裁判で本人尋問に応じて以降、消息不明となっています。

 

最後まで後味の悪いまま、武富士は倒産していったといえるでしょう。


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